
このブログは、神戸キャンパス1年生、瀬川拓真さんに書いてもらいました。
N/S高では生徒会が発足し生徒による取り組みがますます盛り上がりを見せる中、神戸キャンパスでもある活動が活発に行われています。
それは、キャンパス中をピカピカにする「風紀委員会」です。私たち風紀委員は、神戸キャンパスに通う生徒全員が気持ちよく授業を受けることができるよう、月に1回、放課後にキャンパスの掃除を行っています。
例えば、エアコンからはよく目を凝らさないと見えないような小さな埃が出てきます。
これがどんどんと積み重なってしまうと空気が悪くなってしまいます。
風紀委員はそんな小さな埃たちをピッカピカにするまで取ることで、間接的に生徒たちの健康を守っています。
その他にもカーペットから電球の上まで、隅々まで埃をとったり、シンクに飛び散っている水を拭き取ったりすることで、次に使う人が気持ちよく使えるようにしています。
小さく、細かいことまで放課後ギリギリの時間まで入念にチェックを促し、ピカピカになっていないところを見つけては掃除をし、誰も見ていないような小さな棚の上の埃までを綺麗に掃除をしていきます。
しかし活動は放課後、それも月に1回ということもあり、風紀委員会はほかの生徒からあまり注目されていません。
私たちは、そんな中でもしっかりと隅々まで掃除をします。それは一体何故なのか。
その理由は、風紀委員会が発足された時に起きた、とある出来事がきっかけです。
ある日、メンターから風紀委員会についてお知らせがありました。
発表された活動内容は「キャンパスをピカピカに掃除する」ということ。
正直、私はその時興味は持てませんでした。
「わざわざ放課後の自由な時間を割いてまでキャンパスの掃除なんて。そんなの面倒に決まっている」。
私はそう思い、誰かが手を挙げて立候補するのを待っていました。
しかし、誰からも手は上がりませんでした。
その時私はハッとしました。「私も思ったようなことを全員が全員思っているんだ」と。
風紀委員会の掃除というのはいわばボランティアであり、学校内での授業ではありません。
友だちと話したり、一緒に放課後ゲームをしたりという時間が少なくなってしまいます。
大多数がそんな思いなんだとわかった瞬間、私は気づけば立候補していました。
掃除は確かに手間がかかるものです。
しかし、必ず誰かがやらなければならないことでもあります。
誰かがやらなくちゃいけないことを自分から率先して動けるようになることが「優しさ」であり、みんなを影で支えることができるのではないか。私はそう思いました。
私はみんなよりもずっと時間が余っている。今まで意味がなかったような時間を「みんなの時間を守って支える時間」に変えられたなら、それはどれほど素晴らしいことでしょうか。
この動機は少し異質で、「掃除が好きで一緒にやってくれる人」を募集している本来の風紀委員の目的からは外れているかもしれませんが、それでも、誰かの助けになりたいと思ったこの気持ちは間違いじゃないと今でも思っています。
このような理由から私は、注目されてなかろうが、放課後に楽しく遊ぶ生徒たちを見ると、自然と掃除のやる気が湧いて出てくるのです。キャンパスをピッカピカにして、みんなが気持ちよく授業を受けられて、楽しく時間を過ごしてくれていれば、面倒だと思っていた風紀委員の時間は、とても有意義な時間へと変化していきます。
今ではすっかりと風紀委員会の一員であることを“誇り”に思いながら、毎月“ホコリ”を掃除しています(笑)。
私は風紀委員会の活動を通して、「誰かがやらなければならないことを自分からやる」ということの素晴らしさ、そして「面倒くさい」を押さえつけてしっかりと活動に励むことで誰かの助けになり、「面倒くさい」よりももっと大きな「喜び」が自分に返ってくることを知りました。
このことはきっと、社会に出た時、それどころか、人生を歩む中で大切にすべきことなのではないかと思っています。
誰かを助ければ自分に返ってくる。
この風紀委員会という経験は、私の人生をより一層豊かにしてくれるものだと確信しています。